2016年10月10日

「坊守のひとりごとF」

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 父がまだ元気な頃、納骨堂の天井にスズメバチが巣を作った。父は真っ暗になってから巣を取り、丁寧に燃やした。それきり納骨堂に巣はできなかった。
 夫から祖廟の角にスズメバチが巣を作っていると聞いた。2度落としたが、3度目の巣を作っていると聞いて不思議であった。お彼岸におまいりして、その訳がわかった。落とした巣が地面に散らばっていた。夫は落としただけで巣の処分をしていなかった。巣の中のスズメバチが、同じ場所に帰って作業の続きをしたとしても当然の事だ。

 学生時代、文化祭で生物専攻の上級生から質問されたことがある。「人間と野生の動物はどんな関係か?」と。新入生の私は、「共生です。共に生きるです。」と答えた。その先輩は、「人間の世界に共生などありえない。命のやりとりがあるだけだ。」厳しい口調で、いくつも例を挙げて説明してくれた。当時、町育ちで野生の動物に縁のなかった私には、消化されないまま言葉が残った。

父は、人が刺されないために巣まできれいに燃やした。夫は、スズメバチの巣を落とす自分は「悪人」かと問う。私はスズメバチではないので父の通りにすると思う。どんな小さな生き物に対する時も、自分の立ち位置を考える。
 昨夜、風呂場でゴキブリを見た。目の前を悠々と歩いていたが、私は反応しなかった。先月、孫達が来ていた10日間は、蚊・蛾・蝿・ゴキブリ等、どんな虫も私は見逃さなかった。蚊取線香をあっちこっちに焚き、はえ叩きを持ってどこまでも追いかけた。蚊に刺されて赤いおもちのように腫れた孫の足がかわいそうでたまらなかった。孫が帰った後、私の体は虫に反応しない。目の前の蚊を打ち、食卓の蝿を追うくらいだ。許さないぞと何処までも追いかける執念は消えてしまった。これは共生ではなく命のやりとりの境界線が少しずれただけだ。

 住民数よりも野生動物の方が多いこの里山で、先輩の言葉がやっと消化されてきている。
posted by ryuouji at 12:54| Comment(0) | 日記

2016年10月01日

「ごめんなさい」

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先月の中旬、祖廟の軒先にスズメバチが大きな巣をかけてしまった。秋季彼岸も近いのでおまいりの人が刺されないようにと巣を落とすことにした。雨合羽を着て頭にネットをかぶり叩き落とした。ところが手は作業用の手袋を着用していたせいで右手の甲を見事に刺されてしまった。するとみるみる腫れてきて、指が曲がらなくなり二の腕まで腫れ上がってしまった。妻が心配して病院に行こうと言ってくれたが、結局痛みに耐えることにした。

 ムカデや蜂には定期的に刺されているが、考えて見れば虫たちの方が人間達よりもはるかに早くこの地に登場し、人間が攻撃しない限り彼らのほうから一方的に攻撃してくることはない。何だか、痛みを感じることも大切な気がして痙攣などしないかぎり解毒剤や痛み止めをうちたくないのだ。二日後に同年代の方に事の顛末を話したら、「この頃の人は虫や鳥達に優しくないよね。」と同調してくれ少しほっとした。
 たしか子供の頃は、農家の人たちは農作業の中で多くの虫たちを殺すことに痛みを感じ、ちゃんと虫のお供養していた。

 亡き母が貝を煮るときに、何度も「ごめんなさいね」と呟いていたのを思い出す。漠然とではあるが、自分は他のいのちを殺さないと生きられないのだと思った。確かにカニやエビを食べると、生きたまま調理したものと冷凍していたものを調理したのでは差が歴然としている。

 学生時代、何度も熊本地方裁判所で水俣病裁判を傍聴した。ある時、漁業補償で採った魚の代金をもらい、魚そのものは消費者の口には入らずに処分されるという状況にあった漁師さんが証言台に立った。そして被告に向かい「あなた方にこの悲しみと苦しみがわかりますか。」と言った。
 とても衝撃的な言葉で、深く記憶されることになった。当時の感想としては労働の喜びを奪われた怒りが言葉となったのかと思われた。

 しかし今にして、もっと深い悲しみを問うていたのではないのかと気づかされる。
 日々漁に出て魚を捕獲する漁師さんたちは、誰よりも魚の命を奪うことに痛みを感じつつ、同時に命をつないでゆくことに大きな感動や大自然への敬いの心を持っていたのだろう。
 それが裁判の場では生活の現実が無視されて、漁業補償という金銭の問題にすり替えられてしまっていた。

 あのスズメバチにとって、大事な巣を破壊した私は「悪人」そのものであり全く許し難い存在でしかないと理屈ではわかっても、身の上にそのこと引く受けることがどうしても出来ない。

posted by ryuouji at 13:44| Comment(0) | 日記