2017年01月01日

「摂取不捨」

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新しい年を迎え願う事は、まず平和であってほしい。日本ではこの七十年ほど戦争の惨禍と無縁であるが、これも多くの尊い犠牲のうえに築かれた平和であるが、同時に今を生きる我々がずっと努力し続けないと保てないものだと歴史は教えている。
一方で民族紛争や宗教対立はむしろ冷戦後激しさを増し、出口の見えない状態が続いている。

 みなが笑顔で暮らせる日常生活をつい当たり前のように思いがちだ。だがそれは見えない大きな世界に支えられてこそである。

 かれこれ三十数年前、小倉の高等学校に勤務している時に、それまで現金支給だった給与が銀行振込にかわり銀行口座を作るように指示された。銀行に行くと通帳とともにカードを作りませんかすすめられ一緒に作った。

 カードが交付された日、たまたま立ち寄った大型スーパーに銀行のATMがあり早速使ってみた。ところがお客さんが列をつくっていてあせったのかカードをその場に忘れてしまった。まったく気もそぞろだったのか忘れたことを思い出すこともなかった。それから二週間ほどして銀行からカードが郵送されてきた。何ともあきれたことにカードの入れ物には大きな文字で四桁の暗証番号を自分で書いていた。

 何人もの人の手を煩わして本当に申し訳なくおもったが、同時にこんな不思議な出来事は、パリやニューヨークや北京といった諸外国でもあるのだろうかとも思った。

 我らの世代は、悪いことをすると誰も見ていなくても仏様はちゃんと見ておられると教えられて育ってきた。今もおまいりに行って念珠やお経本をしょっちゅう忘れて帰るがその日の内に皆さんが持って来て下さる。

 今や経済の世界は、カネ・モノ・ヒトが国境を自由に行き来する時代であり、いくら保護主義を掲げても一国だけの繁栄などありえない。

 経済的な繁栄に優先して、「あなたが救われないと私も救われない」という仏教精神を、多くの人が共有出来る時代であってほしいと思う。

 金子みすゞの詩「さびしいとき」の四句めには「私がさびしいときに 佛さまはさびしいの」と書かれている。彼女の豊かな感性は時を超えて我々に大切な事を語り掛けてくることだ。
posted by ryuouji at 16:11| Comment(0) | 日記