2018年12月01日

「月見団子」

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 十一月、百軒あまりの村内で三名の方々が相次いで亡くなられた。どなたもとてもお世話になった人である。

 特に、百二歳で往生されたTさんは、長きに亘り総代だったご主人とともに寺を支えて下さった。
 亡き父と小学校が同窓であり、何度も一緒に上山したり、二十代〜三十代の日々は毎月二十八のお勤め一緒にしていただき本当に思い出深い。地区の大谷婦人会長もながく務め、熱心な念仏者であり「自信教人信」を歩まれた。

 葬儀の後、喪主挨拶に立たれた長男の方が趣味であった俳句の中一句を披露された。「月見団子 四角い膳の 真ん中に」という句で、季語辞典の月の項に高浜虚子の句と並んで収められているという。

 生前、意図するところを聞くことはなかったそうだが、長男の方の受け取りは、広大無辺なる宇宙空間と膳という切り取られた世界の対比、あるいは悠久の時間の中で名月の輝く今を愛でているのではと話された。

 挨拶を聞きながら自分の脳裏に浮かんだのは、何度もTさんから教えられた指と月の話であった。

 人は「あれが月だ」と指で示されると、つい月ではなく指をみるというのだ。つまり、「念仏申す」ことと「本願の世界が開かれる」ことの関係性を譬えた話である。
 喉の渇いた牛を水辺に連れて行くことは出来るが水を飲むのは当の牛である。

 念仏によって開かれる世界を生きてこその人生だと教えて下さった事が思出される。
posted by ryuouji at 20:51| Comment(0) | 日記