2017年04月01日

「めでたく候」

緋寒桜.JPG

ソメイヨシノの蕾が膨らんできたので、蓮の植え替え作業を行った。浮葉の芽とそれに続く2節ほどを植えて残りは輪切りにしてシチュウに入れて煮込んでみた。食感がよくてとても美味しかった。
 蓮の花は仏様の台座に使われており、仏教では古来大事にされてきた。ドングリのような実も煎って食べるととても濃厚な味がするし、葉っぱもお茶になり全く捨てるところがない。

 3日ほど咲いて、満開の花びらが一陣の風に散る様は本当に美しい。まさに「完全燃焼」という言葉が相応しい。

 では人間の生き様はどうであろうか?私自身の教員生活を振り返るとやり直せるのならばやり直せたいことがいくつかある。多分誰もが消してしまいたいと思える過去を抱えて生きていると思う。

 関東の御門徒から、明法房逝去の知らせを受けた親鸞聖人は「このたびの明法房の往生、まことにめでたく候。」と返事を書かれた。
 明法房が、かって山伏弁円であった時、「聖人を時々うかがいたてまつる」(御伝抄)と聖人の命を付け狙っていたのであったが、本願の教えに帰依して聖人の弟子となり関東での教化活動に専念したのであった。
聖人の命を付け狙った事実は、聖人にとっても弁円にとっても忌まわしい事柄のはずである。ところが「めでたく候」という言葉から感じられるのは、両者の中で事柄の質的転換がおこっている。後に「山も山 道も昔に変わらねど 変わり果てたる 我が心かな」と懺悔したと伝えられている。

 消してしまいたい過去があるのではなく、消してしまいたいと思っている我が心があることにどうしても頷けない。
 蓮の花を見ていると何とも救われがたい我が身の事実ばかりが浮き彫りにされてくる。
posted by ryuouji at 18:31| Comment(0) | 日記
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