2017年07月29日

「無碍の一道

蓮2017.JPG


 先週、小倉で朝6時から開講される暁天講座になんとか四日間出席する事ができた。毎日四時半に出発できるのか、少し心配だったが講師の先生の熱意に推し出された感じだ。今年の講題は歎異抄七章。

 冒頭、昨年息子さんを自死というかたちで失った自らの体験をありのままに語られた。苦しみの中で、安穏に人生を終えたら決して気づくことのない「願力自然」なる仏様の働きに出遇い、「死んでくれてありがとう」と言えるようになったと仰った。激しく鳴く蝉の声も全く気にならなかった。

 そして四日目の最後に、岡山の国立ハンセン病療養所長島愛生園に暮らしておられるの田端明さんが最近つくられた詩を紹介して下さった。
 現在96歳とのこと。30年ほど前にお会いしたときにはまだ目が見えていたが、今は全盲となられ、指の感覚もなくなられ、点字を生き残っている舌の感覚で読んでおられるそうだ。
 「生」という詩には次のように綴られている。

得がたき人間に  生まれさせていただいたのだから
生き甲斐のある人生にして行こう 二度とないない人生だから
明るく生きて行こう  ハンセン病になったのだから
人生を見直して行こう  折角盲人になったのだから
問題の自分に問いかけて  心の目を開いて行こう
自然の法に生かされて居るのだから 生きるとは死ぬとは命とは 
何かを考えて行こう 与えられた命だから  
白骨の身になる迄の汗を拭きながら 法の鏡に照らされて浄土の道を
一歩一歩間違いなく踏みしめて行こう
良き種を蒔いて育てて  良き花を咲かせて行こう

 仏法は、その教えに深く頷いた人を通じて伝えられる事を思う四日間となった。
posted by ryuouji at 05:59| Comment(0) | 日記
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