2017年11月01日

「善く生きる」

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 学生時代ソクラテスの講義をうけたことがある。18歳の私にはとても新鮮で毎週その時間が楽しみだったことを今でも思い出す。
 当時のアテネは民主主義がだんだん壊れて衆愚政治へ変わりゆく状況にあり、ソクラテスは問答法という手法で一人一人に善く生きることを勧め、なんとか社会を立て直したいと願う。しかし彼の思いは人々に理解されず、逆に社会秩序を乱す者として告発される。それでも生き方を変えることなく、死刑判決を受け入れて最後は自ら毒杯を仰ぐのである。
 「ただ生きるのではなく、善く生きることが大切」という教えに感動し、教師になってからも自分の受けた思いをそのまま生徒達に話した。
 ところがいつしか、高い志を持ちそれに向かって努力を重ねるように若者への呼びかけたかのように曲解していたのかも知れない。
 先月、三十年来の碁敵である奈良に住む68歳の従兄弟が肺腺癌のため亡くなり、通夜と葬儀に参列させてもらった。
 60歳で会社を退職したあとは行政書士の資格を取り、調停委員をつとめ、好きなカラオケで施設を慰問したり、ハイキングの会を主宰したりと随分活躍されたことをはじめて知った。 最期は昏睡状態であったが、その前日まで看病してくれた奥さんの名前を呼んで「あなたのお蔭で今日も一日生かされた」という感謝の言葉を忘れなかったと聞かされた。
 多くの参列者に惜しまれる従兄弟の生き様を知らされて、ふとソクラテスのことを思い出した。
 師が説いた「善くいきる」とは、外に向かって大きな理想や志を持つことではなく、むしろ最も身近にあって大切な事柄に思いを致すことなのかと思われてきた。たとえベッドの上で寝たきりになろうとも思いやりの心と感謝の念を持ち続ける事は誰にでも出来ることなのだから。
posted by ryuouji at 16:07| Comment(0) | 日記
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