2018年09月01日

「piece と peace」

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八月は、ヒロシマ・ナガサキからはじまり、お盆・終戦記念日と続き、マスコミの報道も戦争関連の記事や番組が多い。
 おかげで日本人全体が平和のありがたさや命の尊さ、そして先祖の事に思いをいたす特別な月である。

親鸞聖人が遺された言行に、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。」という言葉がある。
 私の受ける感じでは、すべての生きとし生けるものは密接に繋がりあい、支え合って命の営みが行われているのであり、そこには上下関係や値打ちの大小などないと仰っているのではあるまいか。さらに、過去の仏も未来の仏も、この私の命をしっかり支えている事にも言及されている。

 過去の戦争を検証してゆくと、平和の構築は誰かが取り組めば何とかなるものではなく、一人一人が心に平和の砦を築かなければもろく崩れ去る何とも危ういものに感じる。

 中学時代の英語の授業で、「piece と peace」は同音異義語(homophone)だと習ったが、当時は両者に何の関連も感じなかった。

 一人一人の命を、「piece」と捉え、「社会への貢献度」とか「経済的な生産力」といった尺度で優劣をつけるといった過ちを人類は何度もくり返してきたのではあるまいか?
 73回目の終戦記念日を迎え、「アメリカ・ファースト」に代表される保護主義的な動きが世界の各地で見られることに、時代の逆行と恐ろしさを感じてしまう。

 先の歎異抄の言葉を一人一人が心に刻み、すべての命は分かちがたく互いに支えあっていると認め合った時にこそ真の「peace」が出現するのではなかろうか。

 今は、一つ一つの「piece」が互いに支えあって輝く時に、全体としての「peace」が成り立つように思われてしかたない。
posted by ryuouji at 11:42| Comment(0) | 日記
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