2018年11月01日

「寺に住む」

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 ずっと寺に住んでいると、ついそれが当たり前の事になってしまう。

 日頃は「住職」と呼ばれても、「住持職」という意味で土地や建物を維持管理し、仏事を執行してゆく人くらいの意味で聞いている。

 しかし考えてみると、「住むことを職とする」という言葉は何とも不可解でもある。

 四年前になるが、明治二十七年に移転新築した本堂の傷みがだんだん激しくなり、総代さん達に相談をした。

 自分としては、もし村内だけで対応出来ない場合は、時間をかけて町内の一軒一軒にお願いに回る覚悟は出来ていた。

 ところが実際は、二十一名からなる建設委員会が立ち上がり、あっという間に必要経費の試算から奉加帳の作成へと進み、落慶法要に至った。

 とても有り難かったのだが、ちょっと拍子抜けしたところもある。実際、落慶法要の後に、町内の二十八日講の人達から「うちにも寄進に回って来てくれ、法要に出ることを楽しみにしていたのに」と言われた時には何とも返答に困った。

 現実の社会生活では、金銭をもらう側が「ありがとうございました」と礼を言うのだが、お寺の世界では差し出す側が礼を言う何とも不思議な事が普通に行われてる。

 寄進という作業を通じて仏さまに帰依し心豊かに生きる人の誕生するのならば、住職の最も大事な仕事はそれに貢献することではないだろうか。

 やはり寺は特定の人に開かれる場所ではなく、すべての人に開かれ帰依する場所でなければと四年前の出来事を通じて思うことだ。
posted by ryuouji at 20:16| Comment(0) | 日記
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