2018年05月01日

「息子の結婚」

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 息子が結婚して、四月から新しい家族がふえた。育った環境が全く違うのでいろいろなトラブルがあるのかと思っていたけれど、逆に少し拍子抜けするところもある。子ど

も達が生まれて名前をつけた時に感じたことなのだが、ずっと前からその名前だったように思えるのである。今回も同じにように事実と感覚の時制がずれている。

 名曲「糸」は、「なぜ めぐり逢うのかを私たちは なにも知らない」という詞ではじまる。人生は全く不思議なであいの連続であるが、それをどう受け止めればいいのだろうか。その時のおかれた状況でずいぶんかわってくる。
 とても逆説的な事に、余命を宣告された途端に一日が突然重くなり目の前の人がとても愛おしくなる。

 息子とお嫁さんは、島根県の海士町で同じ仕事を通じてめぐり逢った。晩ご飯の時に「どうしてその仕事を知ったの?」と聞いたら、トロントの大学生の時に、ネット上で募集があることを知ったというのである。何ともグローバルな時代を生きていることだ。

 親鸞聖人は、「教行信証」の冒頭を、「竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船」というお言葉ではじめられる。そこには聖人万感の思いがこめられてあると思う。
 ある先生から聞いた説明によると、「竊かに」とは米粒の中に住むコクゾウムシがその穴から外の世界を盗み見るさまをさすそうだ。聖人が 、「竊かに」「難思の」と言葉をついやして説こうとされている世界に、息子たちと一緒に向きあいたい。
posted by ryuouji at 07:57| Comment(0) | 日記

2018年04月01日

「父を思う」

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ちょうど10年前、心臓の冠動脈にステントを入れる手術を受けた。それ以降定期的に検査をうけて来たが2月の検査入院で、「この状態だといつ心不全を起こしてもおかしくない」と診断され、3月1日に心臓バイパス手術となった。

 麻酔から目覚めて3日間は、痛みでなかなか眠れなかった。すると日頃はあまり深く考えることのない今は亡き両親や祖母や姉のことが次々に思い浮かんで来た。

 父はフィリピンで終戦を迎え、アメリカ軍の捕虜となり翌年ようやく帰国した。身も心も深く傷ついた父をまっていたのは二人の弟たちの戦死のしらせであった、その上祖父も帰国を待っていたかのようにまもなく亡くなっていった。自分が父の立場に立たされたらとても平常心を保てない。やがて母が嫁いできて昭和23年秋に姉が生まれ、晴れ渡る空を見て「やっと戦争が終わった」と感じたそうである。
 父は寡黙で、あまり多くを語らなかったが、言葉より行動でいろいろ奉仕する人だった。

 子供の頃、当時は花嫁さんは必ず打掛を着て本堂にまいって来たが、父は当時まだ珍しいは写真機で何枚も撮って、自分で作った暗室に籠もり徹夜で現像作業をし、記念にプレゼントしていた。小学校のPTA会長も長く務め、よく学校にやって来て子ども達の姿をたくさん撮っていた。
 村の子供会の世話や、保護司に民生委員といった役も長くやっていたことを考えると、とても「人が好き」な人だったのだろう。

 実にここ崎山から出征して戦死した方々は30名を数える。そして、残された人々の中には癒されることのない大きな大きな悲しみが後に残った。
 幼子を抱えて未亡人となった方々や、大事な息子達を亡くした母親の悲しみと父はその生涯をかけて向き合った。私が子どもながらに感じた事だが、生きて還って来た父にしか出来ないことだったろうし、自らにそれを課したのだと思う。

 祖父が亡くなってから、50年以上の長きにわたり住職を務めたのだが、そこには父を支えた多くの念仏者がいた。ともに仏様の悲しみを確かめ合った、にこやかな笑顔のお爺さんやお婆さん達は私にとっても懐かしい。

 父とともに念仏を生きた先達が歩んだ足跡は、私には本当に大きすぎる。

 今回、入院手術という機会を与えられたのは、「これからの人生をもう一度問い直せ」との父からの厳しい催促であると受け止めたい。
posted by ryuouji at 14:38| Comment(0) | 日記

2018年02月28日

「祇樹給孤独園」

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2月はピョンチャンオリンピックの報道が連日マスコミで取り上げられ、特にメダリスト達のインタビューが大きくとり扱われた。
 どの選手も喜びの表情を浮かべながら、選手生活を支えてくれた人々への感謝の思いを口にしていた。
 家族や所属団体をはじめ、コーチ・トレーナー・スポンサー・・・と本当に多くの支えがあってこその結果なのだろうと思う。

 特に、スピードスケートで金メダルを獲得した小平選手を十年にわたりづっと支え続けた相沢病院の存在は、小平選手のスケートへの情熱に対して利害損得ではなく無条件に応援し続けたとても心温まる関係である。

 阿弥陀経のはじめに出てくる、「祇樹給孤独園」(略して祇園とか祇園精舎ともいう)の逸話を思い出させてくれた。

 伝えられるところでは、マガダ国でお釈迦様の説法を聞き深く喜んだ須達多長者(孤独で貧しい人に施しをしていたので給孤独長者とも呼ばれていました)は、自国のコーサラ国の人々にも聞いてもらいたいと思い、お釈迦様を迎える寺を建てようと発願します。そして祇陀太子の森が寺にふさわしいと「土地を売って下さい」頼みました。ところが太子は嫌がって「お金を敷いた面積だけ売ろう」と難題を出しました。すると給孤独長者さっそく全財産を運んでその土地にお金を敷き始めました。祇陀太子は驚き長者の願いに感動して「私の樹木で寺を建てて下さい」と寄進を申し出られたそうである。

 考えてみれは、誰の人生も不思議なであいの連続でり、そのであった人と教えによって人生は形作られてゆくのだと思う。

 古代オリンピックでは、開催期間だけは戦争を中止したそうであるが、今回のオリンピック期間も世界中の人々が勝敗を超えて幸せな時間を共有したように感じる。これからも心がほっとするような時間を多くの人が共有出来る世界であって欲しいと願うばかりだ。
posted by ryuouji at 07:53| Comment(0) | 日記