2017年12月01日

「以自業識為内因」

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 神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかるという事件が起こり、新聞やテレビで報道がされている。
 11/19の新聞記事に容疑者の過去の発言として、父親に「何のために生きているのかわからない」とこぼした。と書かれている。
 まだ事件の全体に不明な点の多い状況ではあるが、その背景には、現代社会が抱える闇が潜んでいるように思える。

 反抗期に入った子供達から、「頼みもしないのにかってに産んで」などと言われると、なかなか的確な返答が出来ずに困っていた。「あなたはみんなから望まれ祝福されて生まれてきたのよ」と言っても今ひとつ迫力に欠けるのである。
 そんな時に、善導大師の観経疏序分義に書かれている「既欲受身、以自業識為内因、以父母精血為外縁、因縁和合故有此身」
( すでにみをうけんとほっするに、 みづからのごっしきをもつてないいんとなし、 ぶものしょうけつをもつてげえんとなして、 いんねんわごうするがゆえにこのみあり。)という言葉を教えてもらい、驚きとともにもやもやした思いが消えた。
 要は、両親が望む前にこの私の中にある深い思いがあって、両親を縁としてこの世に生まれ出たのである。

 人間は、「なぜ生まれて来たのか?」「死んだら何処に行くのか?」という問題に頷けないと前に進めない、何ともやっかいな存在である。

 「花は散るから美しい」のなら、「人は死ぬから愛おしい」と言い換えられると思う。自分がこの世に生を受けた道理がわかれば、もっともっと積極的な生き方を模索出来、利害損得だけに振り回される事から解放されるのではあるまいか。
posted by ryuouji at 19:14| Comment(0) | 日記

2017年11月01日

「善く生きる」

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 学生時代ソクラテスの講義をうけたことがある。18歳の私にはとても新鮮で毎週その時間が楽しみだったことを今でも思い出す。
 当時のアテネは民主主義がだんだん壊れて衆愚政治へ変わりゆく状況にあり、ソクラテスは問答法という手法で一人一人に善く生きることを勧め、なんとか社会を立て直したいと願う。しかし彼の思いは人々に理解されず、逆に社会秩序を乱す者として告発される。それでも生き方を変えることなく、死刑判決を受け入れて最後は自ら毒杯を仰ぐのである。
 「ただ生きるのではなく、善く生きることが大切」という教えに感動し、教師になってからも自分の受けた思いをそのまま生徒達に話した。
 ところがいつしか、高い志を持ちそれに向かって努力を重ねるように若者への呼びかけたかのように曲解していたのかも知れない。
 先月、三十年来の碁敵である奈良に住む68歳の従兄弟が肺腺癌のため亡くなり、通夜と葬儀に参列させてもらった。
 60歳で会社を退職したあとは行政書士の資格を取り、調停委員をつとめ、好きなカラオケで施設を慰問したり、ハイキングの会を主宰したりと随分活躍されたことをはじめて知った。 最期は昏睡状態であったが、その前日まで看病してくれた奥さんの名前を呼んで「あなたのお蔭で今日も一日生かされた」という感謝の言葉を忘れなかったと聞かされた。
 多くの参列者に惜しまれる従兄弟の生き様を知らされて、ふとソクラテスのことを思い出した。
 師が説いた「善くいきる」とは、外に向かって大きな理想や志を持つことではなく、むしろ最も身近にあって大切な事柄に思いを致すことなのかと思われてきた。たとえベッドの上で寝たきりになろうとも思いやりの心と感謝の念を持ち続ける事は誰にでも出来ることなのだから。
posted by ryuouji at 16:07| Comment(0) | 日記

2017年10月01日

「耐え忍ぶ」

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 去る9月23日、祖廟の秋季彼岸法要を勤めた。勤行のあと、参列の方々に感話をお願いした。
 それぞれ自らの病気のこと、家族の介護のことなどを話してくださり、どう身の事実と向き合っているのかがよくわかった。

 そんな中、Hさんは自分の来し方を振り返りながら、人生で大切なことは、日々努力を重ねる事と耐え忍ぶこととだと自らに語りかけるように仰った。話しを聞きながら、Hさんの真面目な人柄とともに、ただ「我慢」することと「忍耐」とでは随分意味が異なると感じた。つまり「忍ぶ」という言葉にはとても肯定的・建設的な響きがあり、植物が見えないところでじっと根を張る様が思われた。

 以前、高倉健さんが座右の銘とされたのは、「我行精進 忍終不悔(我が行は精進にして 忍んで終に悔いざらん)」」という無量寿経の中にある法蔵菩薩の言葉であった。

 この言葉を贈った酒井雄哉師は二千日回峯行(長い比叡山の歴史の中でも過去3人だけしかいない)を断行した大阿闍梨、かたや高倉さんも数々の名作を残した大スターである。
 つい言葉の重さにたじろいでしまうが、誰にとっても人生で大切なことを守って行こうとすれば、必ず「忍ぶ」ことが伴うのだと思う。

 22歳で亡くなられた大島みち子さんは、「人生長きがゆえに尊からず、人生深きがゆえに尊し」と書き残している。いつ終わろうとも悔いはなしと言い切れる人生は深い教えにであった人だけが言える言葉とも思う。
posted by ryuouji at 17:20| Comment(0) | 日記