2018年01月01日

「急ぐべからず」

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暮れになると年輩の方々から、「歳をとると1年がとても早く感じられる」という言葉を聞かされる。私自身も「右同感」である。
 教員時代の経験では、5コマ以上の授業時間がある日は一日がとても長く感じられ、春休みなどで事務的な仕事をやっているととても時間が早く過ぎた。

 徳川家康の遺訓とも言われる、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし急ぐべからず」という言葉にある、「急ぐべからず」とはただゆっくり進みなさいという以上に、大切に一日一日を送るように諭しているのではあるまいか。

 生前、亡き母が遺言のように話してくれた事がある。母方の祖父が臨終の床にあるとき、「四人の子供達はまだ一人も結婚していないが、私はどうすればいいのですか?」と祖母が尋ねると、「そんなことは、ご縁があれば皆さんがどうにかしてくれる。それよりもお念仏相続を怠らずつとめなさい。」と答えたそうである。やがて「うちの娘をもらって下さい」という人があらわれ、妹たちも次々に嫁いで祖父の言ったとおりになったというのである。

 物事は期が熟すれば成就し、縁にふれれば動き出すというのが道理なのであろう。

 祖母が心配したように、この私もいろいろな不安な思いに悩まされる日々ではあるが、新年を迎えるにあたり祖父の残した言葉をもう一度聞き直したい。

 念仏の世界に身をおけば、どんな「重荷」であっても自分にしか背負えないと引き受けられ、いくら遠くても行き先が指し示されればたんたんと歩を進められるとの願いが祖父の言葉には込められていると思える。
posted by ryuouji at 13:46| Comment(0) | 日記

2017年12月01日

「以自業識為内因」

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 神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかるという事件が起こり、新聞やテレビで報道がされている。
 11/19の新聞記事に容疑者の過去の発言として、父親に「何のために生きているのかわからない」とこぼした。と書かれている。
 まだ事件の全体に不明な点の多い状況ではあるが、その背景には、現代社会が抱える闇が潜んでいるように思える。

 反抗期に入った子供達から、「頼みもしないのにかってに産んで」などと言われると、なかなか的確な返答が出来ずに困っていた。「あなたはみんなから望まれ祝福されて生まれてきたのよ」と言っても今ひとつ迫力に欠けるのである。
 そんな時に、善導大師の観経疏序分義に書かれている「既欲受身、以自業識為内因、以父母精血為外縁、因縁和合故有此身」
( すでにみをうけんとほっするに、 みづからのごっしきをもつてないいんとなし、 ぶものしょうけつをもつてげえんとなして、 いんねんわごうするがゆえにこのみあり。)という言葉を教えてもらい、驚きとともにもやもやした思いが消えた。
 要は、両親が望む前にこの私の中にある深い思いがあって、両親を縁としてこの世に生まれ出たのである。

 人間は、「なぜ生まれて来たのか?」「死んだら何処に行くのか?」という問題に頷けないと前に進めない、何ともやっかいな存在である。

 「花は散るから美しい」のなら、「人は死ぬから愛おしい」と言い換えられると思う。自分がこの世に生を受けた道理がわかれば、もっともっと積極的な生き方を模索出来、利害損得だけに振り回される事から解放されるのではあるまいか。
posted by ryuouji at 19:14| Comment(0) | 日記

2017年11月01日

「善く生きる」

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 学生時代ソクラテスの講義をうけたことがある。18歳の私にはとても新鮮で毎週その時間が楽しみだったことを今でも思い出す。
 当時のアテネは民主主義がだんだん壊れて衆愚政治へ変わりゆく状況にあり、ソクラテスは問答法という手法で一人一人に善く生きることを勧め、なんとか社会を立て直したいと願う。しかし彼の思いは人々に理解されず、逆に社会秩序を乱す者として告発される。それでも生き方を変えることなく、死刑判決を受け入れて最後は自ら毒杯を仰ぐのである。
 「ただ生きるのではなく、善く生きることが大切」という教えに感動し、教師になってからも自分の受けた思いをそのまま生徒達に話した。
 ところがいつしか、高い志を持ちそれに向かって努力を重ねるように若者への呼びかけたかのように曲解していたのかも知れない。
 先月、三十年来の碁敵である奈良に住む68歳の従兄弟が肺腺癌のため亡くなり、通夜と葬儀に参列させてもらった。
 60歳で会社を退職したあとは行政書士の資格を取り、調停委員をつとめ、好きなカラオケで施設を慰問したり、ハイキングの会を主宰したりと随分活躍されたことをはじめて知った。 最期は昏睡状態であったが、その前日まで看病してくれた奥さんの名前を呼んで「あなたのお蔭で今日も一日生かされた」という感謝の言葉を忘れなかったと聞かされた。
 多くの参列者に惜しまれる従兄弟の生き様を知らされて、ふとソクラテスのことを思い出した。
 師が説いた「善くいきる」とは、外に向かって大きな理想や志を持つことではなく、むしろ最も身近にあって大切な事柄に思いを致すことなのかと思われてきた。たとえベッドの上で寝たきりになろうとも思いやりの心と感謝の念を持ち続ける事は誰にでも出来ることなのだから。
posted by ryuouji at 16:07| Comment(0) | 日記